楊貴妃伝

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世界三大美女のひとり:玄宗皇帝の後宮の貴妃「楊貴妃」

かって宝塚歌劇団星組では「花舞う長安」玄宗皇帝湖月わたる、楊貴妃檀れいで華やかな舞台公演となりました。

 

楊貴妃は、719年6月1日生まれ?幼いころ父が亡くなり叔父の養女になりました。

幼いころからその容貌が優れていたので、少女期に玄宗皇帝の王子寿王の妃となります。

最愛の武真妃を亡くした玄宗皇帝は、武真妃に似ている息子の妃楊玉環を無理やり寿王から奪い

自分の後宮に入れ、皇后の次の位の貴妃を与え寵愛しました。

後宮三千の美女の頂点となった楊貴妃には、「その香りは、あたりを明るくする」の噂がありました。南方系の出身だった楊貴妃は、花香木の座浴を好み、とても良い香りを漂わせていました。

そうです、楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛をゲットできたのは、薫りの座浴だったのです!

 

楊貴妃は「牡丹園が欲しい」「ライチが今すぐ食べたい」「いとこを高官にして」とわがままを言うようになりました。

その頃、家臣の安禄山が反乱を起こし、玄宗皇帝は楊貴妃と2000人の家臣を連れ蜀に逃れます。

その途中家臣の中から「反乱の原因は、楊一族の横暴!」の声が上がり、楊貴妃の命を奪うことを要求しました。

玄宗皇帝は、兵士の声に負け、来世まで愛し合うと約束した楊貴妃を死に追いやったのです。

 

逃亡の途中の地に楊貴妃を埋め、のちに建墓しようとその地を掘り出したところ、

楊貴妃の死骸はなく、楊貴妃の持っていた「香り袋と香り」が残っていました。

 

京都東山の泉湧寺には、楊貴妃の顔を映したといわれる「楊貴妃観音」が、いらっしゃいます。

また九州には「楊貴妃渡来伝説」「楊貴妃住居の地」 「楊貴妃の末裔?」もいらっしゃるとか?

貴妃座浴オーナーとしては、一度お会いしたいですね。

 

楊貴妃も愛した「香りの座浴」  現在版「貴妃座浴」でお楽しみください。

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